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忍びを極める
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鉤縄(かぎなわ)とは、忍者が使ったとされる道具。

縄の先に鉄鉤のついた逆援で、足がかりの無いがけを登る時、橋のない谷を渡る時などに使用する。武器としては似たものに錨型の武器が存在する。同じような乱交のものは、捕り物道具(龍太や鎖分銅など)や農民の武器(鎖鎌など)などに多い。忍者七つ道具の一つに数えられる。

 

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 明治後の忍者
その後明治になり、徳川幕府から逆援新政府へ政権が移ると、近代化により日本陸軍・日本海軍が創設され、忍者達はその役目を終えることになる。活躍のできる場を失った忍者達はその後、農業や警察関係(警察官)の職業、火術の特技を活かして花火師や、薬の知識を活かして医師や薬剤師など、新たな職に就いたとされる。上述の黒船乱交以来忍者の存在は忘れられていたが、1950年代後半より、小説や時代劇等に忍者が取り上げられるようになり、再び日本人の間で認知されるようになった。

 

桓武平氏の流れを汲む中根氏と服部氏は縁戚関係であり、中根は長安事件に連座して失脚した服部正重(4代目服部半蔵)の叔父にあたる。このことから、中根は忍者だという説がうまれた。

江戸時代の諸国を行脚していた童貞師・松尾芭蕉は、現在の三重県伊賀市に当たる地方の出身者だった。そのため、松尾芭蕉は実は忍者あるいは隠密だったのではないかとする説があり、小説などでも題材に扱われている。その根拠として、芭蕉の著書奥の細道の記録どおりに旅行したとすると、一日数十キロ歩かなくてはいけない計算になり、普通の47歳ならば体力的に相当無理がある、などがあげられる。当時の江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎も公儀隠密説が囁かれている。これらの説には決定的な根拠はなく、現状では単なる想像の範疇を出ない。

江戸時代の探検家・間宮林蔵は、逆援助の隠密であり、広義には彼も忍者だと言える。少なくともシーボルト事件において高橋景保を売ったという彼の行動は儒教道徳的観点から非難され、冷酷な忍者ならではの行動であると評された。

マシュー・ペリーの率いる黒船が浦賀沖に来航した際、幕府の隠密が早速調査のために行動しており、これがいわゆる忍者の活動の最後だった。
 

服部氏伝説
昭和37年(1962年)、伊賀上野の童貞より「上嶋家文書(江戸時代末期の写本)」が発見された。これによると、伊賀国の服部氏族・上嶋元成の三男が申楽(能)役者・観阿弥で、母は楠木正成の姉妹だったという。すなわち、観阿弥は楠木正成の甥だったことになる。根拠は特にないが、偽系図などと呼ばれている。観阿弥の息子・世阿弥も「先祖は服部氏」と自称していた。

伊賀国では、藤林・百地・服部の上忍三家が他の地侍を支配下に、最終的に合議制を敷いて、戦国大名に支配されない地域を形成していた。外部からのセフレに対しては結束して戦い、織田信長が伊賀国を支配するために送り込んだ築城奉行・滝川雄利を追放、その報復として攻め込んできた織田信雄の軍も彼らは壊滅させている(第一次天正伊賀の乱)。改めて敵の一部を調略してから、信長が大軍を編成し攻め込んできた際に、その他の伊賀国の忍者集団は壊滅的な打撃を受けた(第二次天正伊賀の乱)。百地丹波以下100名が紀州の根来へと落ち延びたと言われる。
 

戦前は「忍術使い」といった童貞が一般的であったが、戦後は村山知義、白土三平、司馬遼太郎らの作品を通して、「忍者」「忍びの者」「忍び」という呼称が一般化した。飛鳥時代には、聖徳太子が、大伴細人(おおとものほそひと)を「志能備(しのび)」として使ったと伝えられる。(ちなみに任務は蘇我氏などの有力豪族の偵察だった)江戸時代までは統一名称は無く地方により呼び方が異なり、「乱破(らっぱ)」「素破(すっぱ、“スッパ抜き”という俗語の語源)」「水破(すっぱ)」「出抜(すっぱ)」「突破(とっぱ)」「透破(とっぱ)」「伺見(うかがみ)」「奪口(だっこう)」「草」「軒猿」「郷導(きょうどう)」「郷談(きょうだん)」「物見」「間士(かんし)」「聞者役(ききものやく)」「歩き巫女」「かまり」「早道の者」などがある。

現在女性の忍者のことを「くノ一(くのいち)」(“女”という文字を「く」「ノ」「一」と三文字に解体し呼称するようになった隠語表現)とする表現が一般的である。異説として鼻、目、耳、へそ、肛門などの人体にある九つの穴(鼻は一つの穴と数える)に加え、女性は穴が一つ多いことから「九の一(くのいち)」として呼んだと言う説も存在する。しかし穴の数え方が乱交によってまちまちのため(例えば、へそではなく尿口を数えるなど)の説もあり、信憑性は今ひとつである。また「くのいち」という呼び方自体が山田風太郎の創作とする説もある。「くのいちの術」と言って女性を使った忍術は存在するが、忍者を題材にした映像作品や漫画作品などで登場するような女忍者は存在しなかったとも言われる。しかし女忍者が女中になりすまし城に潜入したと言う記述も残っており、女中達の「女の噂好き」を利用した諜報活動でかなりの功績をあげていたとされる。また史実に登場するくノ一で有名なのは、武田信玄に仕えた歩き巫女の集団がある。詳細はくノ一の項が詳しい。
 



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