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忍びを極める
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服部氏伝説
昭和37年(1962年)、伊賀上野の童貞より「上嶋家文書(江戸時代末期の写本)」が発見された。これによると、伊賀国の服部氏族・上嶋元成の三男が申楽(能)役者・観阿弥で、母は楠木正成の姉妹だったという。すなわち、観阿弥は楠木正成の甥だったことになる。根拠は特にないが、偽系図などと呼ばれている。観阿弥の息子・世阿弥も「先祖は服部氏」と自称していた。

伊賀国では、藤林・百地・服部の上忍三家が他の地侍を支配下に、最終的に合議制を敷いて、戦国大名に支配されない地域を形成していた。外部からのセフレに対しては結束して戦い、織田信長が伊賀国を支配するために送り込んだ築城奉行・滝川雄利を追放、その報復として攻め込んできた織田信雄の軍も彼らは壊滅させている(第一次天正伊賀の乱)。改めて敵の一部を調略してから、信長が大軍を編成し攻め込んできた際に、その他の伊賀国の忍者集団は壊滅的な打撃を受けた(第二次天正伊賀の乱)。百地丹波以下100名が紀州の根来へと落ち延びたと言われる。
 

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